夢を追い続ける理由

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よくいわれるのが
「好きで職業になったものでも楽しくなくなる事がある」
「今更夢なんて追って、実現できるとおもうの?」
「社会適合とかなんとかうつ病とかかかってて、仕事にいけなくなるなんて、すっごく都合のいい病気だよね」
ここ1年そんなことをよく言われ、あまりにもひどい人とは縁を切り、IT関連なんて大きくなくて良いから、ちまちまと1つの事務所のシステム管理者をしながら、歌のレッスンをしていきました。

なぜIT業界が嫌なのか。
最先端技術の中にいるのが嫌なのか。
理由は簡単
「病気をしたから」

最初に派遣会社に所属してやっていたのが、輸出入の取引伝票などの電子化。
まだISDNだった頃。
これはこれで楽しかった。
SPARCマシンを触って、Solarisを触ってLinuxも触ってとにかく勉強して、
「あれー?うまくpostしてくれないなー」
とかいうのを、ソース見ながら
「ここの数値は1じゃないとpostしないってコメントにありますよ」
って、自分の意見を出して意見が通って、そういう成功があって、やりがいがある。
そんな仕事をしていたんだけどね。
結局その仕事も別会社に移行し、自分は次の職場へ。
基本的には事務とサーバールームの見回り。バックアップテープの交換。サーバールームとサーバーラックの管理。
別にそんなのでも良かった。

ただ、Solarisは触らせてもらえなかったし、とにかく書類作成やサーバールームとラックの基本管理の整備をとことんやっていった。
サーバールームは良いとしても、サーバーラックに関しては、開けっ放しだったり、担当者が鍵を全部(予備も含めて)持っていたりしてて、そういう人が休みの日に限ってトラブルが起きたりととてもひどかった。
なので、それをとにかく整理したいというのが現場の意見だった。ので、
意見書・計画書・実施にあたっての手順などを見てもらった上で作業をしてた。
まず鍵を全部回収し、ラック番号及びプロジェクト毎に束ねる。
Accessを使って、ラック番号とプロジェクトの管理及びその連携と担当者の紐付けを行い、貸出証を作るツールを作っていた。
貸出に関しては、一時的に貸出名簿を作り、そこに書き出してもらう。
合わせて、プロジェクトに関する人を把握し、票にまとめた上で貸出証のツールへ入力し、貸出証を作って、担当者に渡すようにする。
ここまでは良かった。良かったよ。うん。
なんとか自分がいた部署の人が「こんなのがほしいな」というのを形にして、他部署への連携も取れるようになったし、今まで机の中でガシャガシャだった鍵もキーラックをかってもらえたおかげで管理もしやすくなったし、貸出中のママの場合でも、誰かがもって帰っちゃったとかわかるようになったし。
それらを事細かく順番を追って行けば、貸出証ができるというマニュアルまできちんと作ったし。
ここまで何とかまとめて、他のデータセンターでも流用されるようになったけど、結局自分の身には生ったと思うけど、自分の評価は係長のに横取りされ、これからだんだんとひどくなっていったのよ。
とにかくこの人っていうのは、終業時間5分前になってペラ紙1枚渡して赤が2箇所ぐらいしか入っていないモノを私、「これ、修正しておいて」と行ったまま2時間〜3時間帰らない人だったの。
「5分程度で終わるので少々お待ちいただけますか?」
と言っても、ムダ。
書類考査(きちんと顧客との契約の任意が正しく取れているかどうかの確認)に関しても、何ヶ月も前から書類を書き直して、周りの人に金額とか確認をとった上で、
「最終確認お願いします」とメールと書類箱と机の上にメモ書きしていたのを全部無視し、考査の前日になって慌てて書類集めやらなんやら始めるんですよ。
で、人に文句をいうんです。「なんでこんなになる前に準備をしなかったの!?」
いや、準備をしたんだけど、半年以上も前から書類を放置していたお前が悪いんだろうと、結局私は家庭の事情があるので帰らせてもらいましたがね。(このころ、祖母がなくなり、叔母が入院をしていたんです。祖母が入院している間はその叔母が祖母の世話をしていて、祖母が亡くなるとしばらくして入院。原因は昔やった子宮関連の病気での再発で、しかも悪性になってた。実家はそれでてんてこ舞い状態だった)
まぁ、なんだかんだ言っても私がいなくてもやっていたことでしょうからね。人の扱い方が酷過ぎるなーって思った。
しかも、肩書が係長から、私の評価を横取りしたのもあって課長に昇進しちゃって、余計ムカつく。
で、このころから、体の調子がおかしくなった。
睡眠時間の著しい減少でした。
眠っていられるのは、金曜の夜〜日曜日の夕方まで。
それ以外は、気絶しているか、軽く船をこいでる程度。
それでも仕事をしなきゃならない……
新しいサーバールーム作ってサーバーラックを立てて、なんのプロジェクトが入るのかがわかったら、鍵の貸出証を作って……
サーバーのホスティング&ハウジングの更新時期の書類、稟議書を含めて修正を行って、サーバーラックの鍵の整理と整備をしながら夜中までたった1枚の稟議書の一文を最終電車が行ってしまうまで残されて修正させられて、しかもその依頼を行った課長さんはさっさと帰っちゃったり、食事に行ったまま帰ってこなかったり。
半泣きになりながら稟議書の確認を部長クラスの方にチェックをお願いし、具体的な修正部分をもらって、即修正して再度打ち出しOKをもらったので、それを課長に「◯◯部長に確認を行ってもらい、OKをいただきましたので、帰宅します」というメールとメモを残して……歩いて帰ったよ。5時間近くかけて。
家ついたら、会社行く時間だもんよー。
で、会社についたらついたで会議室で課長の文句だらだらと聞かされるわけですよ。
で、最終的に
「僕が依頼したんだから、僕に最終確認を取ってからかえってね」
って言う事になったりして。
んで、また稟議書に関しての修正を現在金額と割引率との比較をきちんとさせて仕上げるっていうのをやっていたんだけど、定時で帰れる時間で仕上げて「確認お願いします」と言葉で課長さんに言葉できちんと伝えた上で「お先に失礼します」「お疲れ様ー」というやりとりもしたんですが、2週間後(稟議書の提出期限日)の就業時間に修正依頼。自分は食事に行くとのこと。
どこが悪いのか、どこが間違っているのかを全部見直しして、文章とtypoを見つけ、それを修正。金額に関しては問題なく、あとはどこを直して良いのやら……。
と、この時点で21時。私の契約時間は17:30なんですけどー。
で、さて課長を探すといない。会社中探してもいない。
仕方が無いので、稟議書の校正を行って、文章の送り仮名の統一化とかそういう細かいトコロを修正し、わからないところは部長に聞いたりして、修正とかをおこなって稟議書が何とか仕上がりました。
この時点で23時。
……帰ってこない?
自分で依頼しておいて帰ってこない?
唖然としていると、統括部長が「◯◯さん、どうした?仕事は終わったんでしょ?誰を待ってるの?」と声をかけて下さって、「あ、あの◯×課長を……」と言った途端、持っていた書類を取り上げ、統括部長は席に戻り、課長の携帯に連絡をしてみたら鳴り響く呼び出し音。
すぐに切って、私を呼び寄せ「どちらが元原?」といわれたので、「こちらの赤が入っているのが元原です。」と伝え、稟議書を読み比べして、統括部長が持っている資料(おそらく資材とかの金額関連かと)とも見比べして。
「よし、帰って良いよ。特に稟議書の表紙の文書、読み易くなって良かった」
とお褒めをいただいたのですが、
「ただ、◯×課長が帰ってチェックしてもらった上で帰るという契約が加わってしまったので……」
「でも◯×は捕まらないでしょ?携帯はここにあるわけだから。帰れなくなるよ?急いで帰り支度しなさい。◯◯部長、それでいいよね?」
「えっ!?なに?◯×君待っててたの?早く言ってよ。帰って良いよ、本当に。急いで。◯×くんにはメールしなくて良いし、ファイルはきちんとサーバーに保存されてるね。急いで帰りなさい」
と、部長と統括部長仰っていただいたので、すぐにサーバーに保存し直し帰り支度をしました。
何とか南武線の最終電車には間に合いましたが……立川とかまで行ってくれませんでした。
なので途中の駅から歩いて帰りました。
このときはお風呂入って眠る時間がありましたが、眠れるわけありません。
で、次の日に職場でこれ見よがしに「僕が依頼したモノに関しては僕のチェックが終わるまで帰らないでって約束したよね!?」という怒声が上がりましたよ。はい。
ただ、そこですっと部長と統括部長のフォローが入り、難を逃れることができたのですが、そこで終わるものではありませんでした。
6000通の顧客様へ送る更新時期の案内に関してのメール発送(社名と本文の社名があっていることを確認した上で、折って後でいっぺんに糊付けする)をさせたかと思えば、ナンダカンダ言ってスクリプト作らせたり深夜勤(深夜勤は派遣契約では「させてはいけない」というモノだったのですが)をさせられたり、ふざけんなと。
日に日に顔が浮腫んで顔が青白くなり、食事もまともに取れなくなり、派遣の仲介をしてくださった方も「私に」会いに来たのに、課長がでしゃばってたりして、きちんと話ができない状態になってしまったり。
だんだん、ITの基板というかそういう世界を見てしまい、「もうここに居たくない……」
と思ってたのが顔に出てるのか、派遣の仲介をしてくださった方が、自分の派遣会社の社長に連絡をしてくださったようで、一度会いましょうということになりました。
仕事で年末ですっごく忙しいけど、派遣会社の連絡なのでということで、いろんな書類作り(修正?)を逃れて、会社の社長と常務に会いました。
社長と常務は「◯◯さんに連絡もらった状況よりひどいねぇ。寝てるの?」とか色々質問されて、答えて、社長と常務は何かを決めたようでした。
で、12月の中旬に「次の会社の面接があるから、◯日に八王子駅でね」っていう事になって、一応午後休もらって面接行ってきたら、速攻で決まったらしく。
「でも、なんか、すでに来年のスケジュールで私1日からの出勤だそうで……」
と行ったら社長が
「いい!逃げても良いから。とにかくお前はそこにいてはいけないから!逃げろ!!」
ということで、逃げ出し、次の派遣先で電話オペレーションを行うことになりました。
しかし、まぁ、なんというか……F通のが厳しかったのか、途中からとにかく朝早く出るというのができなくなってしまい、話し合いの末、コアシフトに変えてもらえました。
それで何とか1年は出社できたんですが、コアシフトでも難しくなってきてしまって……
とにかくIT関係に関してはF通のおかげで心身的障害を与えられてしまった。
それでも次の場所はIT業界だと。
常駐ヘルプデスクで8時〜19時。
もう一人いるんだけどその人は10時〜16時。
なにこの差。
結局ここでは私が出社しないと何もできないっていうから!!
8度7分の熱を出してでも出社させられたから!!
トイレに行って、毎回水が赤くなっているのもごまかしつつ年を超えて……
残ったのは「直腸潰瘍」にかかった自分
泣いたね。常務と社長に「即入院状態だ」という事を伝えて、長期入院であることを伝えて。
もう、ここのアタリで「絶対ダメなんだ……この世界はだめなんだ」と思ってたけど、退院して次の仕事の案件が。
ここも結局グループリーダーの人がゴニョゴニョだったり、すっごく会社的に「酷かった」です。
結局、夏負けをして、会社へ行く体力が完全になくなり、気力もなくなり……
辞めることになりました。

体力回復という名目でとにかく1年ほど休んで、久しぶりに面接したら、某Fソフトさんですか。いつもありがとうございます私の変な噂を流してくれてと思いながら面接ですわ。
あかん。あかんわーっていう感じで再出発が始まりましたが、すぐに脱線してしまいました。
それからしばらく会社からも連絡なく、趣味で始めた歌のレッスンがとても楽しくて、ITの道はもう良いや。歌で「超ヒット」とかしなくても、ライブができたりするのが楽しそうと思ってた矢先に、以前派遣会社を紹介した友人から「会社なくなっちゃったよ」

……うん。そうか。
蛇の道は蛇とも言うけど、こうなったら意地でも、どんなことをいわれようとも楽しく歌のレッスンして、歌でお仕事ができたらいいな っていう感じにとどまったのですわ。
結局、精神科に通ってある人達曰く「都合のいい病気」にかかってはいるけれど、そういうふうにしか考えができないっていうのは「心が狭い」とかよりも「心が子供過ぎる」のと、そこまでひどい状態になったことが無いのだろうという考えで、まぁ、こっちが数歩引いて大人な対応してあげようよっていう話を学校の先生ともしたんだよね。

私にとって歌は命です。歌っていることだけでも生きていると言う事の証明になると思っています。
だから、歌のレッスンに通い続けているんです。急激に昇り転落した坂をゆっくりと違うコースをたどって登っていきます。
行きたいと思います。生きたいと思います。

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